寛永期の文化
时间:2016-02-19 来源:未知 作者:admin
江戸時代の文化
豊臣秀吉の死後、有力大名の間で争い(1600年、関が原〈せきがはら〉の戦い)が起こり、これに勝利した徳川家康〈とくがわいえやす・1542~1616〉が1603年、征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。以後、明治改元(1868)の前までの265年間を江戸時代という。三代将軍の徳川家光〈とくがわいえみつ・1604~1651〉の頃までに、全国を藩〈はん〉に分けて支配させ、その上に幕府が立って支配するという封建的支配体制が完成した。これを幕藩体制〈ばくはんたいせい〉という。また、キリスト教が禁止され、中国・オランダ・朝鮮以外の国との貿易も禁止された。これを鎖国〈さこく〉政策という。鎖国政策は幕府の支配力を強めたが、近代化が遅れる原因にもなった。
*藩:大名の支配する領地および支配機構のこと。この時代の大名は一万石以上の領地を支配する者を指す。
A 寛永期の文化(17世紀前半)
江戸幕府の開設以後、幕藩体制が確立した時代の文化。
京都の上層商人層が担〈にな〉い手となる。
ア 美術
①建築
桂離宮〈かつらりきゅう〉→数寄屋造〈すきやづくり・書院造に茶室建築を取り入れた建築様式〉の建築。
日光東照宮〈にっこうとうしょうぐう〉→徳川家康を権現〈ごんげん=神〉としてまつる。
修学院離宮〈しゅがくいんりきゅう〉
②絵画
狩野探幽〈かのうたんゆう・1602~1674〉が幕府の御用絵師〈ごようえし〉となり、以後、江戸時代末期まで狩野派が画壇〈がだん〉を支配する。「大徳寺方丈襖絵〈だいとくじほうじょうふすまえ〉」。
俵屋宗達〈たわらやそうたつ〉:豪商のために華麗な様式の装飾画を描く。
「風神雷神図屏風〈ふうじんらいじんずびょうぶ〉」
③工芸
本阿弥光悦〈ほんあみこうえつ・1558~1637〉:「舟橋蒔絵硯箱〈ふなばしまきえすずりばこ〉」
有田焼〈ありたやき〉:佐賀県有田地方で作られた磁器。朝鮮から伝わる。酒井田柿右衛門〈さかいだかきえもん〉が赤絵〈あかえ〉による上絵付〈うわえづけ〉の方法を完成する。
イ 朱子学
①室町時代には五山僧によって朱子学が研究されていたが、藤原惺窩〈ふじわらせいか・1561~1619〉が儒学の仏教からの独立を唱え、徳川家康に儒学の講義を行う。
林羅山〈はやしらざん・1583~1657〉が徳川家康の顧問〈こもん〉となり、1630年に上野忍岡〈うえのしのぶがおか〉に私塾(忍岡学塾)と孔子廟を建て朱子学発展の基礎を築く。
②朱子学の論理:理の究明(格物・致知)、精神修養(誠意・正心)、道徳(修身・斉家)を政治(治国・平天下)の基礎に置く。天地・陰陽における上下関係を万物に共通する理であるとする。
ウ 仏教
①寺請〈てらうけ〉制度: 1640年より施行される。キリシタン禁制のため、すべての人々を近くの寺院に登録させ、そこの信者(檀家〈だんか〉、檀那)であることを証明させる制度。
仏教は国教的地位を保証され、彼岸〈ひがん〉・お盆などの仏教行事が習慣化する。
②黄檗宗〈おうばくしゅう〉:禅宗の一派。1654年に明から来日した隠元〈いんげん・1592~1673〉が伝える。禅と浄土教を融合させるなど、明代の禅の特色を持つ。
文章来源:华兴日本语(www.yalianedu.com)