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北山文化

北山〈きたやま〉文化

14世紀末の足利義満〈あしかがよしみつ〉の時代を中心とする文化。

大陸では1368年に朱元璋(洪武帝)が明〈みん〉を建国し、周辺の諸国に朝貢〈ちょうこう〉を求めていた。義満は1401年に明に朝貢して1404年から日明貿易(勘合〈かんごう〉貿易)を始めた。以後、禅僧を中心として中国文化の輸入が盛んになる。また、観阿弥〈かんあみ〉・世阿弥〈ぜあみ〉の父子が足利義満らの保護を受け、能を芸術として完成させた。

勘合貿易:明から届けられた勘合を貿易船に交付して行う貿易。勘合によって倭寇〈わこう〉と区別された。足利義満が日本国王として朝貢する形で始める。

a 建築は京都北山の鹿苑寺金閣〈ろくおんじきんかく〉によって代表される。伝統的な貴族文化と新しい禅宗文化が融合〈ゆうごう〉した形を示す。→一階が寝殿造〈しんでんづくり〉、二階が武家造〈ぶけづくり〉、三階が禅宗様〈ぜんしゅうよう〉。

b 禅宗の影響

①五山制度:臨済宗は支配階級の保護を受け、鎌倉時代末期より南宋の官寺の制度にならって最高の寺格を持つ寺院を五山と呼ぶようになる。1386年に五山に属する寺院の順位を次のように定めて五山制度を完成した。

五山の上:南禅寺〈なんぜんじ〉(京都)

京都五山:天龍寺〈てんりゅうじ〉・相国寺〈しょうこくじ〉・建仁寺〈けんにんじ〉・東福寺〈とうふくじ〉・万寿寺〈まんじゅじ〉

鎌倉五山:建長寺〈けんちょうじ〉・円覚寺〈えんかくじ〉・寿福寺〈じゅふくじ〉・浄智寺〈じょうちじ〉・浄妙寺〈じょうみょうじ〉

五山に次ぐ官寺を十刹〈じっせつ〉とし、その下の寺院を諸山〈しょざん〉とする。僧録〈そうろく・寺院の統率機関〉に五山僧を任命して以上の寺院を管理させ、五山・十刹の住持(じゅうじ・寺の主僧)の任命権〈にんめいけん〉を与えた。

夢窓疎石の流派を中心とする禅僧が五山僧として、室町幕府の政治や外交の顧問〈こもん〉となり、芸術・学問でも指導的地位につく。宋学の研究・漢詩文(五山文学)の製作や出版事業(五山版)を盛んに行い、上流社会に中国風の禅宗文化趣味を普及させた。

②水墨画〈すいぼくが〉の流行:禅の影響により、墨〈すみ〉一色の抽象化された描線〈びょうせん〉と構図によって、対象を表現する。明兆〈みんちょう〉・如拙〈じょせつ〉・周文〈しゅうぶん〉ら、禅僧による作品が中心。「瓢鮎図〈ひょうねんず〉」

文章来源:华兴日本语(www.yalianedu.com)

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